2008年04月16日

槇原敬之「赤いマフラー」

赤いマフラー
赤いマフラー
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槇原敬之
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<マフラーが指し示す「君」への想い>

 活動再開後、ずっとマジメなメッセージソングを歌い続けてきたマッキー。
 もともとこの人は、具体的な恋愛のストーリーを甘く切なく描く楽曲を作ってはいましたが、その中には何かしらの「気付き」や「反省」や「自問自答」、そして誰かを愛するための教訓のような要素は常にある人でした。『例えば髪を切るように/生き方は変えられない』(「ズル休み」より)『誰かを愛するためには もっと努力が必要』(「どうしようもない僕に天使が降りてきた」より)
 とはいえ、個人的には、いかんせん堅苦しいなあという印象がある曲が続いていた中で、ようやく前作「GREEN DAYS」でポップなマッキーの復活を感じ、今作ではすっかり以前らしさを取り戻したように思います。

 離れてしまった相手に渡す予定だった赤いマフラーを、自分で巻いて独り街を歩く。それは『渡せなかったプレゼントを/自分で使うサンタみたいだ』とちょっと滑稽めいていて、でも『君がいた証に思えるから』巻いていたい。
 冬の街の中の赤いマフラーは、もちろんクリスマスを意識したところも大きいでしょうけれど、EXILE「Lovers Again」に登場した『スカイブルーのマフラー』と同じく、色味のない中で鮮やかなイメージとして映ります。そして、その鮮やかさはそのまま、「君」への変わらない想いに繋がっているわけです。

 首を暖めるマフラーと、舞い落ちてくる雪。どちらにも果たせなかった思いや行動を重ねて後悔しているのですが、切なさは染みてくるものの、不思議とそこまで暗さは残りません。
 それは、ひとつにはメロディラインの暖かみがあるでしょう。幸せな歌詞を乗せたとしても、しっくり来るような感じ。そしてラストの歌詞も、後悔に溺れるだけではなく、『もし今君が現れたら/このマフラーを/君にそっと巻いてあげたい』と、振り切れてないながらもやはり暖かい言葉が綴られていまして。この点も、過度に暗く落ち込まない雰囲気に繋がっているんじゃないでしょうか。


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2008年02月01日

Mr.Children「旅立ちの唄」

旅立ちの唄
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Mr.Children Kazutoshi Sakurai
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<すっと歩き出そうとする中に、ネガティブさを排除した確かな強さがある>

 新垣結衣主演、ケータイ小説原作という、いろいろと話題性の豊富だった映画「恋空」の主題歌。決して派手ではないながら、ドラマティックなメロディラインやどこかリリカルさのあるアレンジなど、ミスチルらしさも充分に感じ取れる一曲だなあと。

 「しるし」「フェイク」は、はっきりとテーマ性を有していてしっかりと曲世界が作られていましたが、それに比べると、もう少しさらっと軽めな印象があります。
 それはメロディラインの動きにも表れていて、たとえば、メロの入りが独特なのです。4拍子の4拍目から、次の1拍目をまたぐというのは、ちょっとあんまり見かけないリズム。バン、と歌い始めるのではなく、するっとアクセントなく言葉が始まるんですね。これは、2007年3月に発売されたアルバム「HOME」収録の「彩り」なんかも同じ傾向があったりします。
 さらに今回は、サビの最後、つまり歌い終わりもまた「終わり」っぽくなく、主音で閉じない+小節の頭を感じさせない緩やかなリズムで締められていますね。不必要に区切られず、伸びやかに流れる自然体スタイルを意識してできているように感じるのです。

 内容を多少乱暴に要約すると、「君」と離れてしまった「僕」が再び前に歩き始める…というところ。タイトルに据えられている「旅立ち」は、自然体のメロディラインと同様、重過ぎない始まりとして用いられているのかなと。たとえば「終わりなき旅」の「旅」と比べても、もう少し身軽なイメージがあります。

 『さぁ どこへ行こう?』『なんか辿り着けそうじゃん』など、別れた後というシチュエーションにしては、けっこう軽い口調がちらほらと見受けられます。それはきっと気のせいではなくて、全体を通じて後ろ向きの心情が出てこないんですよね。これは、注意深く取り除かれているんじゃないかなあ、と考えてしまいます(後述します)
 離れてしまったけど「君」の存在を胸に生きていく…という点は、きちんと王道をなぞっています。しかし、「君がいなくなって辛い思いをしたけど、また歩き出すよ」と語るのではなく、シンプルに「さあ、歩き出そうか」くらいなんですね。感覚としては。

 二人の思い出を描いたり、未練や後悔を綴ったりしていないのは、この「旅立ち」の時点ではしっかりと気持ちを整理しているんだ、と解釈することができます。もちろん、この先辛いときは『君に語りかけるよ』と頼ることもする。しかし、『でも もし聞こえていたって返事はいらないから…』なのです。「返事しなくてもいい」というのは、もう「君」のことを過去のものとして消化しているからこその言葉ではないかなと。
 辛いときに語りかけるのは、あくまでも今まで一緒だった過去の「君」。『僕の体中』に残っている「君」の存在を確かに感じられることが、離れた今の「君」の「返事はいらない」と言い切れる強さの源になっているんだろうなあと思うのです。続きを読む
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2007年11月10日

槇原敬之「GREEN DAYS」

GREEN DAYS
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槇原敬之 NORIYUKI MAKIHARA
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<かなり硬さも砕けて、程よくなってきたバランス>

 ひさかたぶりにポップなマッキーが戻ってきました!と、思わず興奮してしまいたくなる、通算36枚目のシングル。

 コードだけを見るとマイナー解決なんですけれど、あんまり暗く聴こえないどころかとても開放的。鐘っぽい音色とかも、90年代の頃の作風を感じさせる、懐かしいものです。

 歌詞のほうも、ずいぶん力が抜けてきました。『自分の心に見つけた/暗闇に灯をともすんだ』など、やっぱりストイックな部分もなくなってはいないんですけれど、変にマジメすぎなくなってきています。あんまり自問自答したり抽象的なイメージや寓話を使って「救い」とか「正しさ」みたいなものを見出そうとかしなくなってきたなあと。
 たとえば、まず『君といたからだ』。自分ひとりで悩んで解決してしまうんじゃなく、「君」の存在を確かに必要としています。
 そして『ダイニングを出た僕らに/湿った夏の夜風』なんてフレーズ。ここには、何も意味は込められていません。何かを説明する、主張するための言葉ではなく、ただの素敵な表現になっています。
 細かいところで言えば、「サイテー」「ホント」みたいなカタカナ表現も、やっと使えるようになってきたのかなあと。肩の力が抜けないと、こんな砕けた書き方はできないはずですから。

 そういうわけで、ずいぶん身が軽くなったような印象を受けました。活動再開後の彼の紡ぐ言葉は、どこかなかなか直らないリハビリを続けているような痛々しさがあったんですけど、ようやく戻ってきたなあ…と感慨深いです。
 まあ、昔を知らなかったり、別に戻らなければいけないこともないんですけどね。でも個人的にはやっぱり嬉しいですし、メッセージもありつつポップな今くらいのバランスは、ちょうどシーンの雰囲気にも合っているんじゃないかなと思います。
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2007年08月12日

森山直太朗「未来〜風の強い午後に生まれたソネット〜」

未来~風の強い午後に生まれたソネット~
森山直太朗 御徒町凧 笹路正徳
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<幅広くイメージを拡げる、リラックスした思考>

 ミディアムテンポ、キーもそれほど高くなく、穏やかに語るように進んでいく一曲です。声も張り上げず、サビで少しだけ出てくるファルセットも、爽やかな雰囲気を演出しています。

 サブタイトルがやたら長く付いているのは、もう今回始まったことでもなく。ちょっと主張強いなーとも感じますが、ただ「未来」とだけするのも確かにシンプルすぎるのですね。

 もしかすると、未来、という概念に関してあーだこーだ理屈を並べている歌ではない、という気持ちが、副題を挟む動機になったのかもしれません。
 出会わなかったら『ふたりの未来は どんな風になっていたのかな』とベタな空想をしているフレーズがありますが、そんなに深く掘り下げてあれこれ思うわけでもない。最後に『君と共に歩む世界に 描いた未来を』とまとめていますが、未来についての想像を具体的に巡らせているわけでもない。ただ穏やかな日々の中、「風の強い午後」になんとなく思い浮かんだことを漠然と綴ってみただけ…と、そんな風情を出したかったのかなと。

 それに、「神様」を持ち出したり『生まれ変わったとしても』と言ったり、大仰な言葉を使っている箇所がいくつか見受けられますが、それらはどれもリラックスした思考の中で生まれたものなんです。そういったマクロな言葉から、『ひび割れたホロスコープ』とか『ブーゲンビリアの花言葉』とか、卑近なものまでを縦横に、自由に思い巡らせていると感じるのですね。
 「神様」を持ち出すのも、『君は笑うのかな』と、愛しい「君」の反応を想像するためだけ。なんというか、ウエイト、足場は「僕」と「君」の穏やかで幸せな日常にしっかりと根ざしていて、その中で身近なものから果てしないイメージにまで空想を拡げている…そんな歌だと思えるのです。

 多少まだ大風呂敷を広げるように思える部分もありつつ、それでも「太陽」や「生きとし生ける物へ」の頃のような、悟りを目指いていくかのような抽象的形而上的な方とは違っています。あくまでも、「君」と「僕」の個人サイズの物語を描きたいんだろうなあ、と。
 森山直太朗については、「さくら(独唱)」のイメージが強い!という人も多いと思いますが、今は和のテイストを出す歌い手というよりも、穏やかで心地よさのある日常系ポップソングの歌い手というようなスタイルで活動しています。真剣にあれこれ悩んだり、壮大なものを壮大に描こうとしたりするのもひとつの方向ですが、こうしてリラックスした思考を平和に思い巡らせて、聴き手を穏やかな感情に包む歌も、またいいものです。
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2007年04月27日

Mr.Children「フェイク」

フェイク
フェイク
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Mr.Children Kazutoshi Sakurai
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<嘘と偽物だらけの世界で、それでも前に進んでいこうとする強さ>

 「しるし」という壮大で感動的な作品の後にリリースしたのは、ダークで尖ったサウンドに乗った、『すべてはフェイク』など、後ろ向きとも感じられる言葉の並ぶ楽曲でした。
 遠くは「マシンガンをぶっ放せ」、そして「ニシエヒガシエ」「掌」あたりを想起させるこうした曲調は、最近の人間肯定路線からは離れてはいますが、しかしこれもまたミスチルらしいものではあります。

 そして、近年のポジティブなメッセージから、ただ奇をてらって反対方向に揺り戻してみた、というわけでもないのではないかなと。つまり、一見後ろ向き、否定的ではあるものの、そこには以前のような苦悩や諦めは感じられないなあと。

『言ってしまえば僕らみんな 似せて作ったマガイモノです』
 「フェイク」「マガイモノ」「上げ底」「偽者」「嘘」…隠したりごまかしたり、そんなキーワードがごろごろと出てきて、いかにも負の感情に彩られた内容なんだと思ってしまいがちです。
 しかし、そうした「フェイク」を肯定することは、イコール諦めなのでしょうか。自分には、どうもそうは感じられないのです。確かに斜に構えてはいるものの、それは後ろ向きな姿勢なのでしょうか?続きを読む
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2007年02月20日

Mr.Children「しるし」

しるし
しるし
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Mr.Children 桜井和寿 小林武史
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<心のうちに込み上げる感情を、もっとも確かに伝える方法とは>

 ミスチルの中でもかなりのロングヒットとなった、壮大さを漂わせる歌い上げバラード。

 桜井和寿が長年思い悩んできたテーマのひとつ、「思いを伝えること」が、この曲のひとつのテーマになっています。
 「君」への気持ちを、他ならぬ「君」に伝えたい。でも『どんな言葉を選んでも どこか嘘っぽいんだ』と、言葉では正しく表現できない感情にやきもきする「僕」。言い表すことはできない、ならば『心の声は君に届くのかな?/沈黙の歌に乗って…』と、心そのものが伝わればいいとも考えたりもします。確かに、強い気持ちはどんなに言葉を尽くしても伝えられるようには思えない、この言葉にできない気持ちがそのまま伝わったらどんなにいいだろう、そう思ってしまうことは誰にでもあることでしょう。
 しかし、その考えは、曲中で自ら否定しています。『心の声は誰が聞くこともない/それもいい その方がいい』…それは果たしてなぜなのでしょうか?

 さて、閑話休題。
 以前リリースされた「Sign」という曲。こちらは今回とかなり近い性質を持つ語であり、最初に新曲が「しるし」という題だと聞いたときは、それって「Sign」とはどう違うんだろう?と疑問に感じました。
 そして実際にフタを開けてみると、両者の単語の意味合いはかなり違うなー、と感じまして。さて、では「Sign」と「しるし」のふたつの似た単語に持たせられた意味の違いとはなんでしょうか?続きを読む
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2006年09月19日

Mr.Children「箒星」

箒星 (通常盤)
トイズファクトリー
Mr.Children, KAZUTOSHI SAKURAI

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<上へと向かう奔放な旋律に乗って、動き続けていようとする在りかたが高らかに示される>

 CMでガンガンかかっていたミスチルの一曲。相変わらず我が道を行く桜井メロディは健在で、上へ下へと奔放に行き来するので、印象に残って覚えやすそうな割にはなかなかなぞれない一品になってます。
 とはいえ、昨年の「四次元 Four Dimensions」の楽曲と比較すると、「ランニングハイ」ほどの躁的なハチャメチャさはなく、「and I love you」にあったようなメロからサビへつながる流れを感じることもできたりします。ばっさりと言えば、全体に旋律や言葉で弾むリズムをつけて疼く気持ちを感じさせつつ、メロでは一定以上には上がらなかった高さへと、サビで助走をつけつつ舞い上がっていくような。通して、すごく上昇志向を感じるのです。
 意識的にやっているのかどうかはわかんないですが、生身の息遣いを感じるメロディラインだなあと。それがニガテな人もいるでしょうけれど。

 で、詞ですが。
 「四次元 Four Dimensions」で自分が感じたところは、「答え」に悩み続けて立ち止まったりもしてきた中で、とりあえず明確な答えは出せなくとも「走り続ける」「問いかけ続ける」「愛し続ける」といった、アクションを投げかけ続けるスタンスでした。進み続ける「未来」「ランニングハイ」しかり、繰り返し「I love you」を呼びかける「and I love you」しかり、またBank Bandなどの活動にもこのスタンスが繋がっているように感じたりもしていて。
 そしてその「行動し続ける姿勢」はまた、今作にも引き継がれています。『教えない 知りすぎてるから教えない』と諭しておきながらもなお『知りたい それでもまだまだ知りたい』と求めていることなどから、それが読みとれはしないでしょうか。「悲しみを生むから教えたくない」という気持ちはそのままに(これ大事)それでも知りたいという欲求をそのままぶつけてきているわけですね。次に『詰まれた理屈を越えて その退屈を越えて』と示されるとおり、あれこれと逡巡することをばっさりと切り捨てているのもわかります。
 何より、『人の形した光』なんだと呼びかけるだけならただ「星」でいいところを、わざわざ夜空を飛んでいく「箒星」になぞらえたことからして、「動き続けること」がひとつの大きな姿勢になっているという証明ではないでしょうか。

 上手に心が開けないことを『最近ストレッチを怠ってるからかなぁ?』と表現するのも、単に奇をてらった表現だというだけではないのでは、と。早い話が、誰かに心を開きたいなら、常に運動をしている、ストレッチを行う必要がある…でも言ってしまえば、それだけです。普段からやっていれば全然問題ないし、できなくなってもまた地道にトレーニングすればまたできるものなのだ、ということを、暗に示しているわけで。たとえば「錆び付く」とかって表現するよりも、ずっとリカバリーが容易いものとして…その気になればいくらでも回復しうるものとして捉えている表現なんですね。
 同じようなことが、『暗闇と戯れ合っては』というフレーズにも言えます。先が見えずに迷い苦しむことも「戯れ合う」という、どこか遊び心を感じさせる言い方にできてしまっている、というところがポイントなのではと。

 いやー、しかし、『悪いとこばっか見付けないで』なんて、今まで自分が散々やってきたくせに!とか言いたくなったりもしますが。まあ、これだけプラスのメッセージを発せられるようになってきたんだと分析してみると、そんな熱心なファンというわけじゃなくても、なんというか感慨深いものがありますな。
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2006年05月02日

MONKEY MAJIK「Around The World」

Around The World
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<チャイニーズな雰囲気の中に、一対一から世界全体までを取り込むメッセージ>

 メンバーにカナダ人の兄弟がいる多国籍バンドの2ndシングル。
 ドラマ「西遊記」のテーマでしたが、まさかバンド名だけで抜擢されたのか!?と疑ってしまいそうになります。というのも初代のドラマ「西遊記」(孫悟空:堺正章)の主題歌が「モンキー・マジック」なのですね。歌っているのはゴダイゴで、有名な「ガンダーラ」はエンディングテーマでした。若い人は知らないでしょうけれど…という自分も23歳。すいません知ったかぶりです。

 デビューシングル「fly」と合わせ、非常に洋楽っぽいサウンドになってます。歌詞も英語のほうが多いし。で、今回はタイアップの関係もあるのかチャイニーズな雰囲気になってますね。チャイニーズな雰囲気はどこから来ているのかっていうと難しいですが、ドレミで言うとレ、ミ、ラが中心になっている音型がポイントなのかなあ。
 メロディライン全体が後ノリのリズムで形成されていて、これが洋楽っぽい雰囲気に繋がっているという点もあります。こういうメロディだと、やっぱり英語のほうがしっくりきますね。日本語部分はいまいちハマりきってない印象を受けます。

 歌詞はほぼ英語なので聴き取るのは難しいですが、読んでみると要点は日本語の部分に集約されているようです。すなわち『新しいことに/フミダスチカラで/世界は変わるさ』ということですね。で、『I'LL CHANGE THAT WORLD INTO SOMETHING BETTER HONEY!』と胸に誓う、と。

 あとは基本「I」の視点で『君だけのために/探し続けるよ/奇跡のかけらを』と言っている流れがあるんですが、二人だけでなく、もっと多くの人を巻き込んだ歌になっているように感じます。
 それはたとえば『AS LONG AS WE TRUST EACH OTHER/NOTHINGS GONNA BREAK APART』というフレーズ。これは恋人同士の絆とも取れますが、「Around The World」というタイトルやそのほか壮大さを感じさせる単語が並ぶ曲全体を考えると、世界平和への強いメッセージにも聞こえてくるんですね。
 すなわち曲中で『WE』や『僕ら』と言うとき、そこには「わたし」と「あなた」だけでなく、聴き手や「世界じゅう」すべての人が含まれているんじゃないか、と思ったりするのです。
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2005年08月27日

Mr.Children「四次元 Four Dimensions」

四次元 Four Dimensions
トイズファクトリー
Mr.Children, 桜井和寿, 小林武史

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<「過去」と「現在」からまっすぐ地続きでつながる「未来」>

 4曲入りマキシだから「四次元 Four Dimensions」。どの曲もA面扱いである、ボリューム感がある内容だということをアピールできるネーミングセンスはなかなかです。
 ただ、「四次元」っていうほど曲調や内容がバラバラだとはあんまり感じません。かといって同じトーンでつまらないとかそういうことでもなく、ただ4曲がともに共通する方向性を持っている、という感覚を受けた、ということです。

 「未来」は、その言葉から想像するよりもシニカルな内容になっています。ヒッチハイク、という寓話的な設定を据えつつネガティヴ気味な自己分析をしていて、その中では『生きてる理由なんてない/だけど死にたくもない』と自分を省みています。
 そんな、ちょっと躁的で自嘲気味な歌い方と雰囲気で描かれるメロ部分から、サビに移った途端にいきなり世界が変わります。まっすぐでひた向きで、キラキラした感じ。この一気に塗り変わるような落差に戸惑ったって人も多いのでは。はじめ聴いたときには、CMで流れているサビと結びつかなくて違う曲かと思ったりとか。
 そしてそのキラキラ感の中ではじめに語られているのは、『生まれたての僕らの目の前にはただ/果てしない未来があって』という、過去の輝かしさ、そして、現在目の前にある『先の知れた未来』を否定しようとする気持ちです。

 夢と希望に満ちた「未来」を信じられた「あの頃」と、その限界を知ってしまった「今」。挫折と失望、そして懐古。思春期以上の人間ならば、誰でも経験があるのではないでしょうか。「未来」という単語は素敵に聞こえるけれど、それを自分の身に当てはめて考えた場合、ため息をひとつついてしまいそうになる、というような。
 そしてこの曲は、というだけでなくこの1枚に収められた4曲はすべて、この「先の知れた未来」を経験した人々に捧げられた歌なのだ、と感じています。「果てしない未来」を無条件に信じることのできなくなった、イノセントを喪失した(と感じている)人々、と言い換えてしまってもいいでしょう。

 ミスチルは、もともとは「果てしない未来」を高らかに歌っていたバンドでした。「イノセントワールド」では、その「果てしない未来」を信じていた純粋さを取り戻せるといいな、と歌っていて、そこには「きっと無理だろうけれど」というような陰りはまったくと言っていいほど感じられません。また、「Tomorrow never knows」はタイトルからしてそうですね。深い喪失感に苛まれつつも、『果てしない闇の向こう』に手を伸ばそうとする。「闇」とややネガティヴに描かれているとはいえ、「明日」はここでも不可知=不定形です。
 やがて彼らは悩み苦しむ時期に入ります。イノセントの喪失と崩壊は進み、夢を語るのではなく現実をぶっちゃけるようになり、「果てしない未来」を嘲るようになります。「everybody goes〜秩序のない現代にドロップキック〜」では『明るい未来って何だっけ?』と忘れてみたり、「ニシエヒガシエ」では『夢や理想にゃ手が届かないが』と諦めきっていたり、『暗い未来を防ぐんだ』と自嘲的に歌ってみたり。

 「未来」では、「先の知れた未来」をも『変えてみせると この胸に刻みつけるよ』と最後に宣言しています。ただ「果てしない未来」を信じるキレイで幼い心をもう持てなくても、「先の知れた未来」に幻滅するのではなく、受け入れつつ変えてしまおうとする心を持つ決意をしているわけです。

 「and I love you」は『飛べるよ 君にも/羽を広げてごらんよ』と、一見すると夢想のような語りかけで始まります。しかしそれは決して何の根拠もない、愛を語るためだけの甘い言葉ではなく、『まだ助走を続けるさ』とあるように、「今」の二人からまっすぐ地続きである「未来」を目指し「助走」をつけたうえで「飛べる」のです。
 『もう一人きりじゃ飛べない』というフレーズは、「果てしない未来」を無条件に信じられない、という喪失と重なってきます。しかしそこに哀しみはなく、「君」がいれば飛べる、と相手を求める気持ちにつながっていて。一人で飛べる純粋さを失ってしまった代わりに、『未来がまた一つ ほらまた一つ/僕らに近づいてる』というような実感を手に入れることができているわけです。この、少しずつ未来が近づいてくるというのは、ただ漠然と広がり続ける「果てしない未来」を信じているだけでは得られない実感だと思うのですが、いかがでしょうか。

 『息絶えるまで駆けてみよう 恥を撒き散らして』と歌う「ランニングハイ」は少々、異色ではあります。曲全体にどこか狂騒的な雰囲気が漂っていて、そしてボーカルがメタメタに上下動していて、聴いているだけで息切れしそうでもありますし。
 しかしこの「とにかく全力で走ってやる」というがむしゃらな思いは、勢い任せであるとはいえ「and I love you」における「助走」の意味合いと同じ部分があるのではないでしょうか。自分の心の声とやりあうなどいろいろ苦しんで、『また僕を育ててくれた景色が あっけなく金になった』といろいろ失いつつあって、という「今、この現実」を、逃避ではなく走り続けようとしている点で。「and I love you」と違ってともに走る相手がいないぶん、ちょっと苦しそうで、本当に前に向かっているのかもよくわかんない状態ですが、とにかく吹っ切れてはいます。

 「ヨーイドン」。子供視点で書かれている詞の体裁を取っていますが、実際には、大人になっていく子供を、大人が、大人のために描いた歌だと思います。つまりは「大人のための童話」と同じ意味での「大人のための歌」かなと。
 “この1枚に収められた4曲はすべて、この「先の知れた未来」を経験した人々に捧げられた歌なのだ”と上では書きました。前までの3曲は、「先の知れた未来」を肯定的に受け入れていこう、というメッセージなのに対し、この曲だけは、『どこへでも行ける』と思える、「果てしない未来」を存分に描ける子供の視点を使うことで、大人たちの郷愁を満たそうとしています。
 『半ズボンもリボンも似合わないような大人になっていくよ』というようなフレーズ、ここには明らかに大人になっていく悲哀が込められていているし、『大人も悩んでるよ』なんてぽつりとこぼしてみる辺り、ちょっと卑怯な感じもします。ただ、「果てしない未来」を描く子供から「先の知れた未来」を見る大人へのラインを明確に描き、『いい手本が近くにいっぱいあんだ』と語らせることで、今の大人たちを、単なる純粋な時期への逃避という形ではなく救おう、気持ちを軽くしようとしている向きは感じられます。


<本当の意味での「答えはいらない」という思い>

 『今 分かる答えはひとつ ただひとつ/I love you/and I love you/and I love you』
 「and I love you」の一節。「君」とのコミュニケーションにいくつもの疑問を投げかけつつ、あれこれ考えつつも、ただ込み上げる感情をひたすら繰り返し続けます。もちろん「I love you」が問いかけの答えになるはずはないです。しかし「I love you」を何度も繰り返すことで、その理由も根拠もだから何ができるともどうしたいとも語らずひたすらに「and I love you」と続けることで、言葉の上での疑問や不安、その他理屈で考えるあれこれ一切を脱しようとしているふうに感じるのです。

 また、ひたすら走り続けようとする「ランニングハイ」にも、理屈で導く「答え」を否定しようとしているフシがあります。人間走りながら悩むことはできませんし、『理論武装で攻め勝ったと思うな バカタレ!』という心の声もありますね。『どこに向かっているのかなんて分かんない/でも飛び出していくよ』と歌う「ヨーイドン」も然り。ある意味では、「先の知れた未来」を変えようとする「未来」も、明確な答えから何とかして抜け出そうとしているようにも取ることができそうです。

 答えを出そうとしてもがいていた頃に比べると、ずいぶん変わったなあ、と思います。

 「Any」に代表されるように、「答えはひとつじゃない」という主張は活動再開後から見られた特徴ですが、「答えはひとつじゃない」ってのもひとつ結論付けられた「答え」である、という矛盾がそこには生じてしまうわけで。そうすると、答えを一時預けにして、とりあえず感情をひたすらに曝し繰り返し続けてみたり、何も考えず走りまくろうとしたり…というほうが、より実質的に「答え」を出そうとする呪縛から逃れた歌になっているなあ、という印象です。


<自己の客観視、スケールの広がり、でも失われないエゴとの対峙>

 今回の1枚を聴いて、ミスチルはまた少し深さを増したな、と感じました。それはひとつには、現実から地続きの未来を肯定的に描けるようになったこと。もうひとつは、答えを出すことに(本当の意味で)こだわらなくなった、懐の広がり。
 では、どうしてそうできるようになったのか、というのが、もうひとつ感じたポイントで。これ、より客観的な視点で歌を描くようになったからなんじゃないかな、と思ったんですね。

 ヒッチハイクというシチュエーションを用いた「未来」。甲/乙の自分内やり取りがある「ランニングハイ」。子供視点で描かれた「ヨーイドン」。どれも、自分(=書き手)の外側にいったん視線を置いています。こういう手法を取ることによって、自分の立ち位置を把握し、その位置から進んでいく方法を見定められたのではないかなと。
 ただ「and I love you」だけはひたすら自分の感情を溢れさせる歌ですけれど、これだってやはり客観的な視点を一方で得たからこそ、ここまで吹っ切れた思いを描けたんじゃないかなと。「君が好き」なんかだと、まだ自分で出した答えに戸惑ったり自信を持ちきれなかったりしている風でしたが、そういう要素は今作では見当たりません。
 や、「君が好き」は、あの『煮え切らない』感じがよいわけですけれど。

 bank bandの活動が影響しているからでしょうか、桜井和寿の作る歌はより強度を持ち、かつ柔軟さを増しているようです。活動のスケールが広がることで、毒気のない薄い歌になってしまうんじゃないかという心配も少しばかりありましたが、とりあえず安心です。内なるエゴとここまで向かい合い続ける作風には感嘆します。それはひたすら個人的な歌しか作れないということ、いつまでも割り切れずに悩み続けているという青さでもあったりします。が、それゆえバンド名どおり、大人になりきれない子供、子供を捨てきれない大人への絶大な支持を得ることができるのだし、歌のスケールが広がっても、そこに乗せる感情が薄まらず強い響きを持って届けることができている、と感じられるわけです。
 アルバムも楽しみです。
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2005年08月12日

森山直太朗「小さな恋の夕間暮れ」

小さな恋の夕間暮れ
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森山直太朗, 御徒町凧, 渡辺善太郎

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<等身大視点へ回帰するも、雰囲気重視の言葉選びは変わらず>

 「さくら(独唱)」「夏の終わり」のブレイク以降、「太陽」「生きとし生ける物へ」「時の行方〜序・春の空〜」どうも壮大なほうへ壮大なほうへと行きたがっていた感のある森山直太朗ですが、ここにきてタイトルどおりの「小さな恋」というとても個人的な歌を歌っています。
 で、これは正しい選択かなと。この人のメロディラインってすごく和の雰囲気を出すけれど、そんなに息の長いフレーズになっているわけじゃないですし。ぽつぽつと言葉をこぼしていく、という方が近いです。また、歌い方だって、地声からさっと裏返ったり、細かい変化が多いのはご承知の通り。ファルセット(裏声)の抜けは遠くへの広がりを感じさせたりはしますけれど。
 総じて、和の親しみやすい感じを出しつつ、こういうささやかなテーマの曲を歌うほうが、似合っているんじゃないかなと思います。そもそも「さくら(独唱)」だって、友との別れを歌った身近な関係性の歌だったわけですし。
 壮大な曲を用意されて、そこに乗っかるんならかなりアリだとは思うんですけど、たぶん彼は自作曲で行きたいでしょうし。

 詞はとても情景的です。
 一読すれば、、きっと誰もが単語の選び方にかなりのこだわりを感じるでしょう。ただその選び方の基準というのは、「意味を含ませる」という意図はあんまりないように思います。そうではなく「イメージを膨らませる」ことに、最大限の力を注いでいる印象。
 たとえば最後のほう、『遠ざかる君の背中 人波に攫われて』という一節があります。これ、実際に風景を想像すると、全体の夕焼けの中の淋しげな雰囲気に合わない気がするんですよね。人、周りにいっぱいいたのか!みたいな。もっと誰もいない状況を想像させるので。でも、これはきっと「人波に攫われて」という言葉の持つ「はぐれてしまう」感じを取り入れたくて使っているんだと推察できます。ただ「遠ざか」って、離れていくのではなく、埋もれてしまう、気づけなくなってしまう、そういう含みを持たせたかったのかなと。

 それと「夕間暮れ」って言い方はけっこうメジャーなんですね。知らなかったので造語かとはじめ思っていたんですが、一発変換されますし。
 この単語の解説はこちらが詳しいので、知りたい方は行ってみては。
posted by はじ at 01:28| Comment(2) | TrackBack(1) | J-POPレビュー男性(ま行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月30日

三浦大知「Free Style」

Free Style
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ
三浦大知, Jam, KMuto, HID, Ryosuke Imai

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<ダンスミュージックからのメッセージは、はたして同世代に届くのか>

 さて、ポップス業界では「歌って踊れる<男性>ダンスミュージック」という新境地のアーティストとして、あるいは「あのFolderのあの子が…」と言われたりして、また「携帯が、変わるよ」のCMでもなんだか物議をかもし出したりしていて、と複数の方面から注目されていたりします、三浦大知です。

 前作の「Keep It Goin’On」でもそうだったんですが、踊りながら歌うということを考慮してか、フレーズの作りが短くなっています。伸びる声しているので、ちょっともったいないかなーという気もしますが。
 また、コーラスが多く、掛け合いのようになっているのも特徴ですね。上記の「踊りながら歌うため」息切れしないようにということも大きいですが、なかなか印象的になっていますね。こういうの苦手な人はダメなんでしょうけれども。

 誰かの真似はやめて、自分らしく生きろ!みたいな、世の少年たちに「Free Style」のタイトルどおり自由な生き方を説いてるんですが、うーん、これってどうなのかな?『誤解はさせときゃいい』とか、同年代へ向けてのメッセージなわけですが、果たして世の男子中高生あたりはこの曲に共感してくれるのかどうか。『壁壊せば 迷路じゃない』とかけっこうアグレッシブなこと言ってるんですが、やっぱりその層にしてみれば、ロックバンドからそう言われたほうがずっとピンとくるんじゃないかと思うんですよね。縛られない、捕われない、そういうイメージも、ダンストラックよりもバンドサウンドのほうが、彼らにしてみては説得力あると思うんです。
 あー、この手の男性ダンサーがいなかったのって、つまりはそういうことなのかなあ。女性だったら同世代同性からの支持を見込めるじゃないですか。でも同世代の男子でこの曲に共感する、というのは、いても少数派な気がします。
 よくできた曲だし、これからの音楽シーンにおいて貴重な人材なのは間違いなさそうなんですが、大ヒットするかというと難しいのかなーと。
posted by はじ at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(ま行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月21日

MOTORWORKS「SPEEDER」

SPEEDER
MOTORWORKS, 石田ショーキチ, HollandDozierHolland
ドリーミュージック

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 新人バンドのデビュー曲、と言うにはかなり反則な感じです。Vo.黒澤健一(L⇔R)G.石田ショーキチ(石田小吉、Scudelia Electro、元Spiral Life)B.田村明浩(スピッツ)Dr.ホリノブヨシ(いろいろ)という、もう何年も業界キャリアのある手練れが、「バンドやりたい!」ってなノリで集まった、豪勢でベテランだけどピュアなバンドでして。

 まあとりあえず、こちらで1コーラス試聴できるんで、聴いてみてください。っていうか自分もこの文書いている段階でこれしか聴いてなかったりしますが。
 アップテンポでストレートなギターサウンド、実にテンションが高く、それでいてただ突っ走るだけでなく、落ち着きもあるし手も込んでいて。出だしやバックのテクノな音はおそらく石田ショーキチの趣味でしょうけど、根本にある「生のバンドの音」をうまく盛り上げてます。サビのコーラスとかも、実に楽しそうですよね。

 ちなみに8/25には2ndシングル、9/29にはアルバム出るそうです。次のシングル「Missing Piece」は、こちらで先行試聴できます。切なげなミディアムナンバー。

 そこまでガツンと来る音ってわけじゃないですけど、楽しそうに生き生きと音を鳴らしている感があっていいなあと。
posted by はじ at 21:14| Comment(2) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(ま行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月20日

槇原敬之「僕が一番欲しかったもの」

僕が一番欲しかったもの
槇原敬之
東芝EMI

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 あー!ああー!もう!
 曲は、今までの槇原敬之を振り返ってもまさに珠玉、最高傑作といってもいい出来なのに。なのに、それなのに、なんだよこの詞。

 前回「優しい歌が歌えない」で散々言いましたが、槇原の詞は例の事件以降、現実感を伴わない抽象的なものばっかりになってしまっていて。今回は、その極みにあります。具体的なのは「僕」だけで、それもどんな人間かは描かれない。あとはみんな「素敵なもの」とか「誰か」「人」とかばかり、「それ」という指示語も出まくりです。
 寓話仕立てになっているわけですが、「僕は素敵なものを拾ったけど、欲しがってる人がいたからあげた、まあ嬉しそうだしよかった」というのを2回繰り返して、それで2コーラスをまるまる費やす必要はあったのか。すごくストーリーが薄い上に、出てくるキャストの顔も何も、具体的な事物が出てこないから、余計空疎に感じます。もうちょっとは面白く書けるはずですよ、これ。

 だけどね、曲がいい。だから感動できる。してしまう。
 まずシャッフルのリズムの穏やかな揺れがあって、メロは静かに、サビは揺さぶるように動く旋律、そしてその上に乗るハイトーンの優しさ、ドラマティックさ、説得力。歌声とメロディが見事にかみ合っていて、ほんとうに寒気がしてきます。
 「素敵なものをあげたときのみんなの笑顔が、僕の一番欲しかったものだ」と気がつくラストの盛り上がりのとことか、得体の知れない凄みがでてきていて、もう抽象的すぎるとか中身が冗長すぎるとか、細かいこと言ってないで、浸ってしまいたくなります。
 でも、やっぱり、なあ。


 まあ、今回はもともと外国のアーティストに英語で提供した曲を日本語に直してセルフカバーということで、英語だともっと見栄えよかったんだろうなあと思います。
 また、内容を寓話化、抽象化することで、なんにでも当てはまる普遍性を曲に込めようとした、という意図もあるんでしょう。

 しかし。以前の槇原は、本当に様々な、現実に肉薄した詞を書いていたわけで。細かいシチュエーションを曲ごとに設定して、言うなれば個人的な物語をひとつひとつ紡いでいたわけです。だけどそれはリアルだからこそ聴き手の共感を呼び、たくさんの人に受け入れられて、きっちりと普遍性を獲得できていたと思うんです。
 でも、もう槇原はその方向には戻っては来ないようです。「世界に一つだけの花」ではまだ「花屋の店先」の描写がありましたが、あれだって視点は登場人物というよりは歌の外、語り手、いわゆる神の視点からの書かれ方でした。「優しい歌が歌えない」では辛うじて自然だけが残り、そして今回はもう、人の顔も自然物も何も、固有のものはすっかりなくなってしまいました。

 悟りの境地に達したかのようにもとれる、言葉の連なり。それを類いまれな声で歌い上げる槇原敬之は、どこか聖者のようにも見え、本人にしても、悔い改めて世の中に報いるという気持ちが本心からあるように思えます、が、自分にはそれが素晴らしいことだとは、どうしても思えないです。

 でも、そういった状況や心境の変化から、今の曲の穏やかさや凄みが出てきている面もかなりあることは否めないので、複雑かつ微妙な心境です。
 曲はほんといいんですよ、曲は。聴いていて感動できます。でも自分はしたくないなあ、ということです。
posted by はじ at 23:37| Comment(6) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(ま行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月09日

Mr.children「Sign」

 うん、佳作。それ以上でも以下でもなし。いい歌だとは思うけど、特にこの曲に惹かれるってわけでもない。
ここんとこのミスチルの数曲はずっとそんな感じで、細かい表現とかよくできてると誉めてもいいし突き抜けた新味がないとけなせもできる、どう書いていいか非常に迷うとこなんです。安定して大多数の人にとっての平均以上の曲を作っていけるスタイルが確立したのは、やっぱりすごいことなんです。ですが、あんまり内容が安定してしまっているため、ちょっと前向き後ろ向きの比を変えて同じことを言い換えているだけ、とかそんな風に見えてしまったりするんですよ。
 今回の「Sign」も、タイトルのモチーフをうまく内容で生かしているし、表現もきちんと考えられているんですけど、ドキッとするほど刺さってくる言葉があるかと言うと。あ、でも『身体でも心でもなく愛している』なんてのはいいですね。

 曲調もずっと変わらないよなあ。たまには小林武史氏ではなく、別の人と組んでみたらどうなんだろうか。それだけで新鮮になると思うんですが。でもそしたら、変わっちゃった、と失望するファンが大勢出るんかな。
posted by はじ at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(ま行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月13日

槇原敬之「優しい歌が歌えない」

 結論から言うと自分はこの歌が嫌いです。嫌いと言うよりは好きになれないって感じですが。

 槇原敬之がこの種の内省的な歌を作り歌うのは、彼の辿ってきた経歴(あえてなんのことか明言はしませんが)を考えれば、十分に考えられるべきことだし、選択肢としては間違いではないし、必然であるとも言えると思います。でもやっぱり、自分としてはどうも、受け入れがたいです。
 槇原敬之は、稀有な才能を持ったポップミュージシャンです。それはその声もそうだし、特殊な感性もそうだし、何よりもそれらから産まれてくる曲の一つ一つを、聴き手にしっかりと見せつけ魅了するように作り上げることができるという点が、ポップスという一見薄っぺらい音楽を、何の考えもなしに薄っぺらく作れもできてしまう音楽を、深く深く深化させています。
 「太陽」以降、彼の楽曲には内省的な歌が増えました。今回の曲は、ただ内面描写に終始することなく、この季節の新緑の木々の葉というモチーフを使って厚みをもたらしているなど、やはりきっちりと詞の説得力を考えて作られていて、それは非常に評価できます。でも、やはりこの一連の内省的な歌から発せられるメッセージは、聴き手のために届けられる前に、まず、槇原自身のために紡ぎ出されているように感じてしまうのです。

 この曲のサビを抜き出してみます。『そこで僕は確かに見たんだ/総てを人のせいにして/だれでも平気で傷つけるような/もう一人の自分が/心の中で暴れながら/僕をぼろぼろにするのを』
 この部分のメロディーは、彼の歌声の高音の抜けを生かした、聴きがいのある盛り上がりになっています。しかし、詞のほうからは、ポップスの重要な要素である「ツカミ」、聴き手をぱっと惹きこむような言葉のインパクトが、感じられてきません。メッセージを曲に詰め込もうとするあまり、せっかくのサビが冗長な説明文のようになってしまっています。こうしたことから「聴き手よりも自分のための歌」という印象が生まれてきてしまうわけです。
 他にも、恋愛の歌とは違い具体的な他者の姿が立ち上がってこないで、一人の世界でしゃべっているように感じられてしまうことも問題だと思います。代わりに「太陽」や「桃」今回は「新緑」、あるいは「世界に一つだけの花」などと自然物との関係性はかなり強調されそれらによって「答え」や「救い」がもたらされるというパターンが多く、それは確かに自己の中だけで閉塞しているわけじゃないとは言えますが、しかし他者を描写することから視点を避けているようにも感じられてしまうわけで。
 ただ「世界に一つだけの花」なんてのは、しっかり「ツカミ」はあるし、別の歌い手ということもあって割合肩の力が抜けていたとは思います。続きを読む
posted by はじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(ま行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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