![]() | 四季 (CCCD) winds., Hiroaki Hayama, shungo., Nozomi Furukawa, Takafumi Hoshino ポニーキャニオン このアイテムの詳細を見る |
スキマスイッチの手による前作 「キレイだ」では、珍しくちょっと情けなくユーモラスな主人公像の歌詞が新鮮でしたが、今回はまたお馴染みの切なげストイック路線に戻っています。
ただ今回は、曲にバンドものっぽい生のドラムが使われていてそれがけっこう特徴になっているかと。これ、ちょっと、意図が量りかねます。旋律はダンスビートに乗りやすそうないつもどおりの方向ですし、打ち込みで問題ないように思えるんですよ。新しい要素を入れたかったってだけなのかな。
タイトルどおり、巡る季節を織り込んで、『瞳を閉じれば いつも/よみがえる 君との seasons』というふうに、『もう今は君に会えない』状況から二人の日々を思い返している、という内容になっています。
別れた後も相手のことを想っている、という曲によく見られる傾向として、「なぜ別れたのか」ということを明確に描かない、ということがあります。この曲でも『優しさが足りなかったね』という、原因を匂わせるだけにとどまる一文以外は、なぜ二人が離れたのかをうかがわせる記述はありません。だいたいどの曲もこうなんですよね。似たような類のフレーズとしては「ささいなすれ違い」とか「日々に追われて」などが挙げられますが、どれもこれも直接の原因は書かず、「そんなに好きだったんならなんで別れたんだよ」と意地悪にツッコめそうなぼかし方をしていることが多いです。
理由は簡単、「生々しいから」。別れても好きな人、というシチュエーションは、聴き手のセンチメンタリズムに訴えようとしているわけで、そうするとあんまり「相手の浮気」だとか「マンネリ」だとか「寝取られ」だとか「夜の相性が悪かった」だとか、そういう変に現実的な理由とは相性が悪いのです。だから、その辺には触れずに、きれいにまとめるわけですね。
(あとは遠距離の離ればなれ、卒業、死別などなら、二人の気持ちは変わらなくても別れることになるわけで、そういうシチュの曲が多いのは「切ない」状況を作りやすいためなので、自然なことなんです)
というわけで、この曲はそういう生々しさを非常に丁寧に排除して、美しい思い出と切ない想いに浸ることができるように細心の注意がなされています。春夏秋冬を組み込むことも、季節の美しさと、『君がいない四季を渡るよ』と循環しつつも決して戻らない時間の流れを印象付ける描き方に生かしてます。
こっからは余談ですけど、「〜した季節」って使いやすい言葉ですよね。「〜した時間」と言うよりも綺麗で、かなりスパンの長い期間を与えることができますから。平原綾香の「君といる時間の中で」など、「現在」に当てはめるには「時間」の方がよさそうですけどね。過去、あるいは未来(「思い描く季節」とか)には「季節」は優秀です。