2008年08月31日

平井堅「いつか離れる日が来ても」

いつか離れる日が来ても

<たくさんの人に「切なさ」と「愛の深さ」を届けるために>

 映画「あの空をおぼえてる」の主題歌として、アルバムからシングルカットされた1曲。「瞳をとじて」に通ずる、お得意のミディアムバラードです。

『このぬくもりに満たされる程/失う怖さにどうしようもなく襲われるんだ』
 そばに「君」がいて、幸せな日々を過ごしている。でも、幸せでいるからこそ、それを失う怖さに襲われてしまう。
 中心になるテーマの選択が、実にらしいというか…何が聴き手の心を揺さぶるかということを考えて選択し、描かれているよなあとつくづく。はっきり言って卑怯なくらいにズルいです、これ。決して悪い意味ではなく…

 『「考え過ぎだよ 笑ってよ」僕の頬をつねるけど』『ねぇ 今抱きしめていいかな?』
 しっかりと繋がりあっている絆を描写し、幸福な関係が築けていることがわかる描写がたっぷり。そんなにラブラブな二人だけど、離れるときを心配することで、幸せよりも切なさを前に出していく。ちょっと女々しいかなあとも感じられますが、そうすることで、『なぜだろう こんなに君を想うだけで 涙が出るんだ』というようなフレーズが生き、より愛の強さ深さを表現できるようになっています。
 両想いの恋愛の素晴らしいいま恋人がいて幸せでいる人にとっては、もちろん感情移入できます。そして恋人がいない人にとっても、ただラブラブっぷりを見せ付けられたらきっと共感できない人もいるでしょうけれど、この曲に描かれる「切ない感情」は、そうした反発を和らげてくれます。

 さらに、この「いつか離れる日が来ても」という言い方は、
・生きている間に別れることになる
・どちらかが死ぬときまで愛を貫く
 このどちらにでも取れる表現です。
 さらに言えば、生きている間に別れる場合、喧嘩などの現実的な別れにも、お互いに嫌い合っている様子のないJ-POP的な≪キレイな別れ≫にも、どちらにも繋げられるものです。そして、どちらかが死ぬときまでという場合もまた、純粋にお互いが老いるまで共にいること、または「瞳をとじて」が漂わせていたように、…「死別」をイメージすることもできます。

 聴き手はこの一曲の中で、これだけの幅のあるシチュエーションの中から、自分にとって感情移入できる内容を選び没入することができるわけです。非常に間口の広い書き方をしている、と感心することしきりです。
ラベル:平井堅
posted by はじ at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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