2008年03月07日

Acid Black Cherry「愛してない」

愛してない
愛してない
posted with amazlet on 08.03.06
Acid Black Cherry 林保徳 久保田早紀 kiyo
エイベックス・エンタテインメント (2007/11/28)
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<「狂おしさ」漂う感情を奔放に追求>

 Janne Da Arcのボーカルyasuのソロプロジェクト、3作目。ゴリゴリのヘビーなロックだった1作目「SPELL MAGIC」、ジャジーに揺れるサウンドを展開した2作目「Black Cherry」と今までにない内容を提供してきましたが、今回はかなりポップ。どこか歌謡曲っぽさもある哀愁のメロディラインを歌っています。

 もともとこうした歌謡曲っぽい、ちょっと泥臭くだからこそ印象に残るポップセンスは、バンドの時にもあちこちに匂っていました。また、3作続けての女性視点でのソングライティングも、見覚えがあるものです。
 ただ、ソロでは、バンドでは展開していなかった曲調にチャレンジしたりしているのもそうですが、非常に伸び伸び生き生きと持ち味を出して
いるなあ…と感じていまして。

 シングル3作はともに女性視点であると述べましたが、共通しているのはどれも「狂おしい」と言ってしまえるほどの強い愛情が表現されているという点です。想いが募りすぎて、平常心でなんていられない、ひたすらに激しい感情を昂ぶらせていく女性の姿が描かれているのですね。
 で、今回は『もう声にならないくらい』に愛しいあまり、別れの時を直視できなくなってしまっています。『優しさはもういらないの…』『あぁ…もうヤダ…愛してる…』と、込み上げてくる感情がすっかり錯綜してしまっているようです。

 そんな狂おしい感情の昂ぶりを表現したい!という意図は、たとえば言葉の上では「…」の多さなんかに表れています。意識の上に出てくる以上に言葉にならない感情があるのかもしれない、あるいはもう声になっていないということなのかもしれない…というように、「…」の使用によってよりいっそうの情感を演出しているわけです。にしても、いくらなんでも使いすぎのような気もしますが。
 そういえば、場所によって点の数が2〜4個と差があるようですが、これは意識的に変えているのでしょうか。どこの歌詞サイトを見てもそういうようになっているんですよね。考えてみたんですけど、ちょっとその差までは読み取れませんでした。点々をとにかくめっちゃ使いまくる、という高度な笑いどころなのかなーとも思えるくらいです。

 ところで、曲の構成にも「狂おしさ」を出すための工夫を感じます。
 まず、メロとサビではっきりと役割が違うこと。メロ部分に関しては、割合すっきりしたメロディラインで、曲世界の背景を語っています。一方、サビでは、ひたすらに感情が爆発。「…」も多いです。そして、感情をぶちまけたり、あるいは会話のやり取りを描きながら、メロディラインもまた「高まり」を感じさせるつくりになっているんです。
 言葉だけでなく、音も相乗して「狂おしさ」を表現しているんですね。もともとの歌謡曲的な流れもそうですし、さらに半音を多用しているのも粘りつくような感情を表しているかのようです。

 持ち味の作曲センス、そして女性視点を取り入れながら、それを「狂おしさ」を感じさせる激しい表現で発揮している…これが、伸び伸び生き生きと楽曲を作り歌っているという印象の源泉になっているのかなと。


posted by はじ at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(あ行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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