Cocco こっこ 西條八十
ビクターエンタテインメント (2007/11/21)
売り上げランキング: 1871
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<変化の中で生まれた、上辺だけではない「強さ」>
SINGER SONGER「初花凛々」以降、音楽活動を再開したCoccoは、以前のような焼け付くような鋭さはなく、緩やかで広がりのある作風になってきています。
その中で、シングルでも「陽の照りながら雨の降る」などに見られるように、故郷・沖縄の手法や雰囲気を楽曲に織り込んでくるようになってもいます。発声の仕方も、沖縄民謡のような伸びやかなものに変わってきている気もしますし。自然体、という言葉が似合うような作風に変化してきているなあと。
で、この「ジュゴンの見える丘」も、沖縄音階を奏でる三線の音色に始まり、沖縄民謡独特の掛け声を思わせるコーラスで終わっていきます。メロディラインもまた、どこか土着の雰囲気を持ったものですね。
曲調だけでなく、テーマもまた、地元に根ざした内容です。沖縄の海に現れたジュゴン、しかし米軍基地建設が進むと彼らはその場を追われることになってしまう…そんなニュースを知り、ジュゴンたちのことを思って作ったという経緯があるのだそうでして。
『泣きたかろうに』と気遣い、『もういいよ/少し おやすみ』と呼びかける。そうした態度は、活動休止前の彼女からは考えられないものです。ひたすら内側に溜め込んだ想いをふつふつと煮えたぎらせていたのが、自分以外の他者へ優しさを投げるようになったわけで。感情の発露の仕方が、180度と言っていいくらい変わってきているのです。
それが物足りない、と感じる人がいるのはまあ当然と言えば当然なのですが、個人的には歌い手の変化って成長や広がりを感じることができて好きだったりします。Coccoにおいても、それは同じ。
『悲しみは いらない/やさしい歌だけでいい』なんてフレーズがあります。理想的ですが、まあそうは言っても、哀しみをすべて排除してやさしさだけを得ようとするのって、限りなく不可能に近いわけです。
では、叶いもしない理想を歌うのは、無意味で思慮が足りないことなのでしょうか?自分はそうは思いません。むしろ、「たとえそれが困難でも」などと付け足したりもせずに、臆することなく理想を歌い上げるのは、よほどの強さがないとできないことだと思うのです。
『継いで接いで連ね/恥さらせ』というフレーズもありますが、こちらも同様。恥をかかないようにすることよりも、恥を堂々とさらそうとできるほうが、ずっと精神的な大きさを思わせるスタンスだなあと。継いだり接いだり、何度もやりなおし加え繕っていく、そして見栄えが悪くなってもいいんだ!という価値観が、この詞の強度を確固たるものにしているように思うのです。別のものを繋いでいってもいい!というのは、本人の方向転換を包括している
ようにも聴こえますしね…
『あなたに降り注ぐ全てが/正しい やさしいになれ』
こんな言葉は、暗く痛々しい言葉ばかりを綴っていた彼女だからこそ、強さ暖かさを感じさせるのでしょう。単に楽曲の力だけではなく、歌うCocco自身の遍歴もまた、楽曲をドラマティックに聴かせるスパイスになっています。