2008年02月15日

すぎもとまさと「吾亦紅」

吾亦紅
吾亦紅
posted with amazlet on 08.02.15
すぎもとまさと すぎもとまさと&KANA すぎもとバンド 千代正行 ちあき哲也 建石一 星川裕二
テイチク (2007/02/21)
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<同世代に響く要素は、「母への追慕」以外にも秘められている>

 2007年紅白出場、その前からじわじわと人気を得ていた楽曲。歌い手であるすぎもとまさと/杉本真人/杉本眞人は、音楽業界に身を置いてから35年、58歳で紅白初出場。最年長タイ記録だそう。同率最年長は大泉逸郎「孫」なのですが、こちらは亡くなった母親に捧げた楽曲ということで、好対照を成しています。

 吾亦紅とは、花の名前。秋に咲く、バラ科にしては花弁がなく地味に感じる、特徴的ながらもどこにでもある花です。『盆の休みに 帰れなかった』ために、吾亦紅が咲く頃になってひとり会いにきた…というシチュエーション。そして会いに来た相手は、亡くなった母親です。
 少し肌寒くなってきた田舎の風景が浮かんできます。そんな場所に嫁いできて、ひたすら「強い母」として生き抜いた「あなた」のことを、今になってひしひしと感じられるようになった。親孝行したいときに親はなしの格言のように、「あなた」の大きな愛をようやくわかってきた。『あなたの あなたの 見せない疵が/身に沁みて行く やっと手が届く』なんていうフレーズが、物悲しさとやるせなさと、何より「あなた」の強い生きざまが感じ取れます。

 盆に来ることができなかったこと、そして「あなた」の偉大さに今頃気がついたこと。後悔するかのように、『あなたに あなたに 謝りたくて』『ばか野郎と なじってくれよ』などの言葉が並んでいます。これは、弱気さだったり「あなた」の死に心が折れてしまったりというようなことを思わせますが、ちょっと違うのではないでしょうか。
 最後に噛みしめるように語る『髪に白髪が 混じり始めても/俺、死ぬまで あなたの子供…』という呟き。この「あなたの子供」なんだということを再確認するために、謝る/叱られるというような行動を求めているんじゃないかなあ、なんて思います。
 そしてそこには、子供として親に甘えたいというような感情ではなく、親の生き方を学び見習って強くあろうとする意志が込められています。「吾亦紅」の語源には「われもこうありたい」という言葉から付けられたという説があるようですが、まさに「あなた」のようになりたいんだ!という思いが、歌と言葉から伝わってきます。 さてこの楽曲、前年の紅白でムーブメントが加速して2007年最大のヒットとなった秋川雅史「千の風になって」と売れ方は似ています。完全に歌謡曲で高年齢層向けなのも、「死」が楽曲の軸になっているのも共通しています。
 が、指し示しているものは、この2曲では当然のように違います。「千の風になって」が自らの死を見つめる死生観を歌っているのに対し、「吾亦紅」は母親の死をモチーフにしつつ、その生き方にスポットを当てています。強く生き抜いた「あなた」に想いを馳せ、自らもまた自分の生き方を貫いていこうと決意する。主眼は、これからの「生」にあるのです。

 『来月で俺 離婚するんだよ/そう、はじめて 自分を生きる』
 離婚が自分らしい生き方の始まり、という描き方にはかなり戸惑います。まあ「仕事と家庭」に忙殺される昭和のサラリーマン世代の大多数にとっては、それは間違いのないところなんでしょう。でも、何も離婚を持ち出さなくても…とどうしても思ってしまいますが、実際に母を亡くして友人に書いてもらった詞ということなので、すぎもとまさと本人の実話なのかもしれません。
 離婚うんぬんはあれこれ考えていくと脱線したままキリがなくなりそうなので省きます。重要なのはそこではなく、「自分を生きる」ことに腹をくくった点。墓に対して報告し宣言するほどですから、揺るぎない決意なのでしょう。もしくは、揺るぎなくしたいがために、あえて宣言したのかもしれません。どちらにせよ、強い意志を持ってこれからの自分を生きようとする姿勢が示されています。

 母への感謝の気持ちを、(もう届けられないにせよ)改めて素直に表出する。母の在りし日の姿に自らを照らし省みる。そして、再出発を誓う…この一連の流れは、あくせくと生きてきた団塊の世代にとって、これからのための「浄化」の役割として機能するように思います。
 たとえば、仕事一筋に生きてきて、定年を迎える頃になってふと「これでよかったのか?これからどうするのか?」と思う…そんな典型的サラリーマンではなくとも、この世代は多かれ少なかれ「これでよかったのか?これからどうするのか?」なんて不安になっている人が多数でしょう。
 そんな不安に対しこの歌は、「素直になる」こと、「自分を見つめる」こと、「これからを生きる意志を持つ」ことを描きます。ふと生じた不安から心の平穏に至る道筋を、3つも提示してくれるのです。
(…ちなみにもうひとつ、心の平穏を得るために考えられる道筋が「迫る死を受け入れる」こと。「千の風になって」は、こちらの領域ですよね)

 「吾亦紅」の主人公と同年代の団塊世代にとっては、田舎の母の死も、『仕事に名を借りた ご無沙汰』をしてしまうのも、あるいは熟年離婚もまた、リアルなものとして感じられるのでしょう。
 そんな人々にとって、感情移入しやすい設定と生き方の道筋を示してくれるこの楽曲は、「母親の死」というモチーフ以上に感動を誘うものなのではないでしょうか。


posted by はじ at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(さ行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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