2008年01月28日

FUNKY MONKEY BABYS「もう君がいない」

もう君がいない
もう君がいない
posted with amazlet on 08.01.28
FUNKY MONKEY BABYS 田中隼人 soundbreakers 菅谷豊 大塚利恵
Dreamusic (2007/10/31)
売り上げランキング: 36991


<「泣ける」曲に仕上げるための表現あれこれ>

 デビュー曲「そのまんま東へ」で東国原知事を起用して以来、毎回著名人の顔をジャケットに据える彼ら。今回は戸田恵梨香で、PVにも出演しているようです。
 そんなプロモーションからも売り手側のプッシュ具合がよくわかるわけですけれども、実際に爆発的ヒットにはなっていないものの、「Lovin’Life」の辺りからだいぶチャート上位に食い込んでくるようになっています。

 で、今回は、『いつもの隣 僕のそばに もう君がいない』別離を歌った内容。HIPHOP界隈でメロウに失恋を歌う楽曲は、2006年にはSEAMO「マタアイマショウ」、そして2007年にはSoulJa「ここにいるよ feat.青山テルマ」とロングヒットが続いていまして、キラーテーマに成長しつつあるのかなあという気がしています。今後、この分野はさらに開拓されていきそうな予感。
 特徴としては、非常に主人公の心情に未練が大きく残っていて、「切ない」雰囲気に浸らせようという方向で表現がまとまっていること。「泣ける曲」という評価を目指して作られているなあ、と感じます。

 サウンド面では、ラップというよりは語りのような、ゆったりとしつつ旋律にもなり気味の、つらつらとしたメロ部分。口ずさみやすいキャッチーなサビは、特に入りの『いっそのこと』の乗り方がちょうど良くはまっていて、印象に残りやすくなっています。
 ストリングスも、ドラマティックな盛り上げに貢献していますね。というか、すっかりバラードの文法です。どういうことかというと、ループするサウンドの一部で使われているというようなHIPHOP的トラックではなく、メロディラインと曲構成の展開を補足するように動き、かつクライマックスへと曲想を膨らませていくために、大々的にフィーチャーされているという使われ方なのです。こうしたバラード文法のストリングスはすっかり定番化していて、これはHIPHOPと普通のポップスの境目がなくなっていく流れの一要因でもあるのかなあと。

 歌詞も、もちろん「切なさ」を感じさせるもの。夕暮れの駅、「君」はもう「僕」の元を離れていかなければならない。でもお互いに離れたくないまま、『最終電車のベルが鳴り響いて』しまうまで動けないでいる。でも、「君」は繋いでいた「僕」の手を振り切って去っていく。そして『行き場を失った左手は さびしく震えてた』…
 夕暮れから最終電車までということは、相当長い時間「僕」は『その右手を離せなかった』ことになります。まあ、歌詞世界はそれなりにローカル線ぽい雰囲気なので、最終といってもそんなに深夜ではないのかもしれません。でも、おそらく数時間はそのままだったはず。ここには、「僕」の未練がたっぷりと感じられますね。…まあ、夕暮れの風景イメージと「最終電車」という状況、演出のために両方欲しかったってだけのような気もしますが。

 でも、この曲は他にも「僕」の未練の大きさを感じさせるフレーズだらけです。『涙溢れ』てしまうのはもちろん、『いまも君のすべてを体中がおぼえてる』というくらいに、少しも忘れることができないままです。想いが変わらずにいるとすることで、その純粋な感情を美しく描いているのですね。別れの場面を詳細に追っている点や、
 また、『想いがにじんで 涙が出ちゃう』『ごめんね まだそんなに強くなれない』と、言葉の端々があんまり男らしくない、弱めな言い回しなのも気になります。この辺りになってくると、傷つきやすい少年のピュアさとして浸ることができるか、それとも女々しいなあと感じてしまうか、だいぶ評価が分かれそうなところです。 ところでこの曲、二人が離れなければならない理由が不明確だったりします。
 何度か別の記事でも触れているはずですが、「別れ」を描く際、「お互いに想いあったまま離れてしまう」というシチュエーションが最も美しく感じさせることができやすいものです。今回も、別れのシーンを読む限りでは、喧嘩別れということではなさそう。「僕」はもちろん「君」も名残惜しい素振りを見せていますし。駅のホームが舞台になっていますし、ここは遠くに行かなければならない事情があった、と解釈するのが妥当でしょうか。(そういえばこれも、BUMP OF CHICKEN「車輪の唄」系の、男が見送るパターンですね)

 にしては、「僕」の悲嘆ぶりがすごいですよね。遠くに離れるだけならば、今はメールとかいろいろ伝達手段があるはずなのに、もう会えないと確信しているかのよう。『ほんとは君の幸せを 僕は願うべきだけど』と、再び連絡を取り合うことは諦めているっぽいです。
 と、野暮なツッコミを進めていくと、まあ泣けるシチュエーションが先にあって、細かいストーリーよりも演出を重視した結果なのだろうなあ、という推測に落ち着きそうです、個人的には。改めて、「いかに切ない感情を描くか」ということに腐心して全体が作られている楽曲なんだなあ…と思った次第です。


posted by はじ at 23:56| Comment(1) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 ゼロ年代に入ってから、日本でもラップ/ヒップホップ系の音楽がすっかり市民権を得たわけですが、でも最近登場したラップ系のグループを見ていたら、なんか個性があまり感じられないというか、どのグループを見ていても皆同じに見えてしまいますね。『ケツメイシ』や『RIP SLYME』などが登場した頃だったら、彼らの曲を聴いていてもちゃんと区別がついたのですが、最近では『湘南乃風』と『ET−KING』の曲を聴き比べても、歌声の区別がどうもつきにくいです。また、『FUNKY MONKEY BABYS』だって、彼らの曲を聴いていたら、「このような人達って以前にも確かいたような気がするなあ・・・」などと思ってしまいますね。

 かの小室哲哉は数年前に、1990年代後半に巻き起こったヴィジュアル系ロックバンドのブームについて、「かなり盛り上がったけれど、一方でブームが終焉するのも早かった。誰かが『みんな同じに見えるよ』とポロっと言ったら、それで終わりなんですよ」という趣旨の事を語っていましたが、今のラップ系グループにも同じ事が言えるかもしれませんね。ケツメイシなどのように、以前から一定のファン層を獲得しているグループはともかくとしても、それ以外の中堅クラス以下のグループは、これから一体何組が生き残れるのだろうかと思いますね。
Posted by 金魚花火 at 2008年04月21日 16:15
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