2007年12月29日

SoulJa「ここにいるよ feat.青山テルマ」

ここにいるよ feat.青山テルマ
SoulJa 青山テルマ 佐藤博
UNIVERSAL J(P)(M) (2007/09/19)
売り上げランキング: 500


<「離れても通じ合う二人」しかし「伝えられない想い」…ギリギリまで磨き上げられた切なさ>

 今年メジャーデビューした新進ラッパーSoulJaとR&Bシンガー青山テルマのコラボレート曲。じわじわと話題になり、なかなかの長い期間にわたってヒットを続けていました。
 今回が3作目となるシングルは、その前のアッパーな2作とは対照的に、センチメンタルさ全開のミディアムチューン。『伝えたい気持ちそのまま言えずに 君は行っちまった』と、遠く離れてしまった想い人への心情となっています。

 近年、J-POPは、「切なさ」を醸し出しまくる楽曲が目立つように感じます。もちろん昔から重要な要素ではあるんですけど、どんどんとその傾向が強まった、極端になった楽曲が出て、ヒットしているように思うのですね。それは、「感動」「号泣」が映画やドラマで流行しているように、時代全体の流れなのかなーとも考えています。
 そしてこの曲は、ちょっと究極的なくらい「切なさ」を追求した内容になっているなあと。その辺を追求してみたいと思います。

 ポイントは、その「伝えられなかった気持ち」の発露の仕方です。
 遠くへと行ってしまった相手への気持ちを、『電波でしか会えない日々』とあるように、やりとりしているメールで伝えようとする。しかし、あれこれと言葉は出てくるのですが、決定的な一言はなかなか形になりません。
 思い出を語ってみたり、元気でやっているかどうかと気遣ってみたり。しかし、『ちくしょう、やっぱ言えねえや/また今度送るよ』『言葉出てこねぇや』『まぁ そんな事はいいんだ 言いたいことはそんなんじゃねぇんだ』と、この他にも延々と繰り返し言葉を紡ごうとしては、結局ダメだと投げ出してしまっているのです。

 この手のシチュエーションだと、「今ならわかる」「この気持ちを伝えられる」「会いにいく」と、離れてようやく気持ちを伝えようとできる、というパターンがほとんど、という印象があります。それで会いにいこうとしたり、今はもう伝えられない…と後悔に浸ったりする、という。
 しかし、この歌はそうではなく、離れた今もやはり気持ちを伝えることができないまま、なのです。どうしようもなく伝えたいのに、うまく言えない。そのもどかしさが、切なさに繋がります。

 さらには、サビの青山テルマが歌う部分は、『Baby boy わたしはここにいるよ』と女性からのメッセージという形になっています。この返答では、『どこもいかずに待ってるよ』と、女性側もまた男性側を求めている、アクションを待っているということが示されます。
 また、ただ女性からの呼びかけだけというわけではなくて、途中からSolJaも歌に加わったり(曲の盛り上がりにも繋がっていますね)またはSolJaが一人で「Baby girl」と語りかけたりもしています。これが、「男女のどちらもが相手を待ち望んでいる」ということ暗に示しています。

 お互い想い合っている。でも、その気持ちは『Unsent letter』=送られない手紙、つまりは目に見える形では送られないのです。
 『話かなりそれちまったがわかるよな?俺が言いたい言葉』
 『言いたい事わかるでしょ?/あなたのこと待ってるよ』
 男女パート、それぞれには、こうした相手への理解を求めるフレーズが出てきます。直接は言えない、メールでは送れないけど、この気持ちは伝わらないかな?きっと伝わるよね?とお互いに期待しているのですね。実際に伝わりあっている、でも、平行線のままの二人の関係。このシチュエーション設定が、聴き手の感情を否が応にも揺さぶってくるのです。
 特に男性パートは、長々と語ったあげくハッキリ言えない!と言い出し「わかるよな?」…という流れで、少々苦笑してしまうくらいにヘタレな感じです。でも、それがやっぱり切なさを醸し出すんですよね。
 さすがにここまでは受け付けない人もいるでしょうけれど、行き着くところまで「切ない」心情を描き出そうとしている、というこの過剰さが、ロングセールスの源になっていたんじゃないかなと。 さて、もう少し補足。
 他の楽曲と比較したりして、楽曲単体から大きく「時代性」に視点を広げてみたいと思います。

 男性側が遠くに行く女性側を見送る、というパターンはBUMP OF CHICKEN「車輪の唄」でもありました。
 そちらなどでもあれこれ語っているので、簡単に解説します。ひとつは、男性が遠くに行くシチュエーションで昔はもっともベタだった「上京」という設定が、近年はあんまりもてはやされていないということ。もうひとつは、視点人物が「受け身」、相手から離れていくよりも相手を待つことに共感が寄せられるようになっているんじゃないか、という推論。
 そうした時代の要素も背景にあって、男性が動かない舞台設定も特段気にならない空気が、今ではできているなあと。実は、現代的な設定なのかもしれないよ、というお話です。

 また、「今なら伝えられる」ではなく「今も伝えられない」なのは、ただ切なさを増幅させたいがためというだけではなく、単純に「メール」というコミュニケーションのせいもあるのかなーと。
 離れて直接顔を合わせられないのは、もちろん『君の微笑み/君のぬくもり 髪の香り』は感じられないので辛くはあるんですけど、何度も気持ちを書こうとしているように、「伝えようと思えばいつでもすぐに伝えられる」という状態なわけです。それが、ある種の逆効果になっているのかなあと。
 もしメールも電話も使えなかったら、もっと「今なら言える」と思えやすいのではないでしょうか。直接会いに行こうかな、とさえ思えてしまうのではないでしょうか?なまじ二人の間の障壁が低く、繋がりが今もなお緊密だからこそ、近くにいたときと変われない…という点もあるのではないかなと。

 まだ続きます。
 この曲って、スタイルといい雰囲気といい「切なさ」を醸し出しまくる点といい、昨年ロングヒットを記録したSEAMO「マタアイマショウ」と近いなあ、と感じた人はけっこういるはず。あちらでは、女性パートは一言だけだったのに対しこちらではがっつり呼びかけあいになっているあたり、さらに進化しているなーという気も。
 しかしSEAMOのあの曲は、別れ際、わりと突き放した視線を持っている内容でした。切なさたっぷりと言っても、ドライな切なさだったんですね(詳しくはレビューを参考にどうぞ)。一方、こちらは…女々しくさえあるほど余裕がなくて、明らかにウェットな切なさを意識して描いています。…ちなみにSEAMOも、今年の泣き系ソング「軌跡」ではウェットな感情寄りになっていますね。

 ということで、各方面から「切なさ」を狙って作られている楽曲だなあ、と感心した次第です。個人的には、切々とした感情の描き方やヘタレっぽさは好ましいところですが、女性側でも待っているとはっきり示されちゃうのは、切なさ設定をアピールするための都合よさだと感じちゃうんですが…まあそういう「切なさ」の描き方も否定しませんし、好きな人には間違いなくたまらないポイントでしょう。
 ま、自分としては、男性視点のみソロバージョンがあったら、もっとお気に入りになっていたかなあとは思います。「言いたい事わかるでしょ?」という心の叫びが、果たして届いているのかいないのか…そんな不安定さがあったらツボまっしぐらでした。とはいえ、多くの人の共感を得るには、今の形のほうが適切だよなあ、とも。


posted by はじ at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | J-POPレビューコラボもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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