2007年07月04日

TOKIO「ひかりのまち」

ひかりのまち/ラン・フリー(スワン・ダンスを君と)
TOKIO 甲斐よしひろ 西村智彦 坂井紀雄 TAKESHI 久米康隆
ユニバーサルJ (2007/03/28)
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<シチュエーションに見る「レトロな恋人像」>

 甲斐よしひろが提供した、かなりレトロさの入り混じるミディアムロックチューン。
 前作が、中島美幸提供で大きな話題になった「宙船」でしたが、今回も引き続き大御所の提供曲+渋く骨太な印象ある楽曲という感じで、流れができています。
 少ししゃがれさせて力強い歌いっぷりは、ジャニーズではこの長瀬智也がもっとも適任でしょう。「宙船」で見せたこの特性を今回もふんだんにアピールしています。

 とりあえず男臭さがぷんぷんするわけですが、単純に曲や歌い方だけでなく、歌詞にももちろんそういう印象を与えるための要素はあるはずで。
 まずわかりやすいのは、「僕」と「君」じゃなくて「俺」と「あいつ」だったり(しかも「彼女」と言ってみたり)するところですね。実際には、恋人同士の男側は「僕」「君」を使うより「俺」「おまえ」を使うほうが多いような気がしますが、ポップスの世界はそうではありません。不思議なものです。
 また、『でも気がついたら 浴びるほどの愛をくれた/まばゆい瞳のあいつが 突然いなくなっていた』なんてシチュエーションも、ちょと古びた時代を感じさせるものです。そして、「あいつ」のことをいなくなるまで放っておいてしまう「俺」と、『なんにも告げず』出ていってしまう「彼女」。こういうタイプのキャラクターが、最近あんまりいないタイプなんですよね。

 まず男側。「相手がいなくなってから、わかってあげられていなかったことに後悔する」というパターンは、これは多いパターンです。あの時ああしていれば、とか、もう一度やり直したい、とか言ってみたり。
 でも、この曲の「俺」は、そうした後悔の感情はまったく描かれていません。もちろん、『お前の光さえぎったのは 俺だったのか』というような述懐があったりするので、おそらく後悔はしているのでしょう。でも、それは明確に描かれない…というか、楽曲の中で主張されない。
 メインに据えられているのは、「おまえ」がいなくなった事実と、「おまえ」がいなくなってからの部屋の描写です。寂しいとか哀しいとか、そういった心情は述べられない、でも『いないのは 俺達だけ』というつぶやきに、そうした感情は透けて見ることができるわけでして。
 多くを述べない中に心情を込める、「男は背中で語る」という言葉とも繋がるようなこうしたハードボイルドな描かれ方は、楽曲のレトロさ・男臭さを強めていると言えるでしょう。

 また女性側。自分の気持ちを「俺」に伝えないままに別れを選ぶ、この行動にも「イマドキでなさ」があるように感じます。
 現代の恋愛は、「お互いにわかり合う」ということが大きな命題になっています。気持ちを通じ合わせるのが恋愛であり、理解しあっていないのは彼氏彼女としていけないことだ…そんな、前提ともいうべきものになっているように感じます。
 でも「彼女」は、何も言わずに「俺」のもとを去ります。もっと自分の抱えている不満か何かを知ってもらおうとせず、『逃げるように』。
 そもそも、「彼女」は元は『浴びるほどの愛をくれた』とあります。「俺」の描かれ方から見るに、これも一方通行、ただ与えるだけの愛情だったんじゃないかなあ、と推測できそうです。無償の愛は素晴らしいものですが、相互理解という面はありません。
 こうした、「通じ合っていない」恋人の形は、あまり現代的とは言えないでしょう。イーブンじゃない不器用で不恰好な関係というのは、やはり仁侠映画とかそういう種類のものと親和性があるように感じます。一昔前、昭和の匂いがしますね。

 楽曲そのものは、演奏面でもっとうねりがあるといいのになあ…と感じますが、歌詞を分解していくと、「心境をべらべら語らない」「前世代の恋人の形」という面で、じゅうんぶんなレトロさが醸し出されているなあと思うのです。


posted by はじ at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(た行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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