秋川雅史 新井満 EDISON 小沢不二夫
テイチクエンタテインメント (2006/05/24)
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<憧れを投影できる「死生観」のあり方>
昨年末の紅白歌合戦以降、ロングヒットを続けているこの楽曲は、もともとは作者不詳の詩「Do not stand at my grave and weep」が原型。日本では、新井満という人が日本語詞と曲をつけ、それが今回在テノール歌手の秋川雅史が歌っているという流れになっています。
もとの詩の作者は諸説あるようですが、いずれにせよ作者がはっきりしないまま、世界中に広まっていったということは疑いようのないところです。
『私のお墓の前で 泣かないでください』と始まるこの曲は、日頃あんまり聴く機会のない「死」をテーマにした楽曲だということが明快にわかります。愛や夢や希望を歌う曲はミュージックシーンに溢れていますが、死生観が込められたものは、まったくと言っていいほどありません。
『千の風に/千の風になって/あの 大きな空を/吹きわたっています』
死んだ後は、お墓の中、土の中ではなく、広々とした大空に魂を浮かべる。そんな「死」の在り方は、日本人の死生観にとっては馴染みやすいものではないでしょうか。日本では、死後の世界は宗教が明確に規定しているわけではなく、「天国」「地獄」といった素朴な観念でしかない。また、「八百万の神」と言われるように、どこにでも「神」は存在しいくらでも増える。堅苦しくない形で「魂」の存在を漠然とイメージできる民族なんだろうなと。
だから、死後に肉体から精神が開放され、大空を自由に飛び回ったり『あなた』を見守ったりしているんだ、と歌われるこの曲に憧れを抱き、深く入っていきやすいんじゃないかなと。
諸外国では、死者の追悼の際に朗読されて広まっていったのだそうで。実際の追悼の場面で「死者」視点のこの詩を聴くと、残された人々にとっては、故人からの言葉としてとらえることができるわけです。泣かないで、側にいるから…そんなメッセージとして、生きている側の慰めになっているんじゃないのかなと。
でも日本でのこのロングヒットは、それだけでは説明がつきません。もちろん、身近だった故人を偲んで聴き入る、という人もいらっしゃったでしょうけれど。
でも、どちらかといえば、死後もなお自由に空を飛び回る、というイメージに共鳴した、あるいは憧れたという人がたくさんいたからなのでは、と思ったりするわけでして。それはやっぱり、日本人の国民性に起因している部分もあるんじゃないのかなあと考えるのです。
ところで、ただ「風」になるんじゃなく、「千の風」であるところは押さえておきたいポイントです。
ただ一陣の風のように大空を気持ちよく飛んでいくのとは、ちょっと違うんですね。千ほどのさまざまな風になるということは、大気に遍く存在する、というようなことなのでしょう。この地上のすべてを吹く風になって、世界を、「あなた」を包んでいたい、そんな心情が表されているんだと思うのです。
だからやっぱり、充分な声量を持った秋川雅史がどっしりと歌うこのスタイルが、このすべてを包もうとする詞にはちょうどあっているんだろうなあ、とも思うのです。