2006年10月07日

GLAY「G4」

G4
東芝EMI
TAKURO, GLAY, 佐久間正英

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<確かな重みのある「ずっしり感」漂う曲世界>

 昨年はEXILEとのコラボ「SCREAM」のみしかシングルを発表せず、実に「ホワイトロード」以来のオリジナルシングルとなります。お久しぶりです。

 で、そんな長い沈黙開けの新曲は4曲構成になっています。どの曲もそれぞれ個性はあるものの、それぞれにいかにもGLAYらしい王道で作られているような感じ。良く言えば安定感信頼感があるし、悪く言えばマンネリといったところ。まあ久々なので、改めて自らの音楽性を確認するような意図なんでしょうか。

 とはいえTAKUROという人は基本的にマジメな作曲家なので、自らの作風を守りつつデッドコピーにはならないよう毎回ちゃんと味付けを変えたり工夫したりしてるんですよね。
 「ROCK'N'ROLL SWINDLE」ではサビの『WAY!』の連呼が耳を引きつけますし、「誰かの為に生きる」ではリフで珍しくコートに対してM7の音を効果的に使っていたり、「LAYLA」はその名前を繰り返し呼ぶパターン化したメロ部分、「恋」はさりげなく混ぜられる2種類の調性。そういう要素を常に開拓しつつ、サビのキャッチーさや真摯な主人公像は押さえておく、という作り方は常に考えているんだろうなあと。


 さて、では曲ごとに詞を見て行きましょう。 「ROCK'N'ROLL SWINDLE」。さて「SWINDLE」とは「詐欺、いんちき」という意味だそう。世の中に疑問を投げかけ、自らに奮起を促すというのが大筋でしょうか。社会批判をするフレーズはもう珍しくもないものですが、たとえば『未練なんかない 思い出もない』とかはちょっと気の利いたフレーズです。ありがちそうに見えて、思い出をばっさり切り捨てるというのは、ただなんとなくそれっぽい言葉を並べようとするだけでは出てこないかと。
 あと個人的には『ぬるいビル風 誰のせいだろう?』が好き。都会の不快感と閉塞感、自分以外の力に翻弄される自分、やり場のない怒り、みたいなものが詰まってますよね。こういう想像力が広がる表現はいいなあ。


 ちゃきちゃき行きましょう、「誰かの為に生きる」はタイトルからしてGLAYっすね。メロのハイトーンのすっと抜ける歌い方が新鮮。
 『誰かの為に生きる それも悪くないね』ということですが、別にこれから運命の相手を探すという歌ではなく、きちんと「君」がいます。自分の満足のために恋愛をするのではなく、『時に厳しさで 時に優しさで/歩いてゆけばいい/僕はいつも ここで笑っているから』と、相手をそっと見守る生き方を受け入れようというわけですね。『生まれたままの愛で』と言ってますが、どちらかというとこういうシチュエーションは年季の入った重みのある愛じゃないかなあと思ったりも。


 はい、「LAYLA」。こういう名前呼びかけ系の歌ってありましたっけ?GLAYのイメージだとあってもおかしくないですが。
 だいたいこういう名前アリの曲って、いわゆる「ひとつの理想的な女性のイメージ」が託されている場合が多いです。ひとつのはっきりした正確とそれゆえの魅力を持つ女性を描きたいため、名前を与えてはっきりと輪郭づけるのですね。で、それが母性的な人だと「MARIA」になったりするわけです。
 で、今回の場合は、憧れてしまうような凛とした強さを持つ女性。なんというか「LAYLA」という名前を選ぶあたりも含めて、GLAYらしいというか。

 で、『「一番大切なモノは決して目に映るモノじゃない」』とかあってうわーと一瞬思ったんですけど、『と判った振りの自分がいる』と続いたので安心しました。さすがにもうそんなストレートには言わないっすよね。


 ラストの「恋」これだけがバラード。とにかくサビの言葉がすごくて、韻を踏みつつ短く言葉を繋ぎ、多角的に恋愛というものを捉えようとしています。『叶わぬ願い 厳しくも恋/奪うのが愛 降り積もる迷い』…奥深く突き詰めようとするあまり、なんというか演歌でもいけそうなくらいになっています。
 そんな恋愛哲学が表に出ていますが、よく読んでみると別れのシーンも混じっていまして。終わってしまう時にこそいろんなことがわかるのが恋愛だというのは、ひとつの真理なんだろうなあ、というのはわかる気がします。


 ちょっと上を行く皮肉。そして見守ることを選んだり憧れの生き方を見出したり時に哲学的になったりと、どこかずっしりと重みがある恋愛の描き方。オトナ、とは言わないまでも、ある種人生経験を感じさせる手ごたえがあるのが、昔からのGLAYの詞の特徴ですね。
 対して、今のJPOP界の大筋の流れは、「少年性」にあるんじゃないかなあという感覚があって。何かと悩みの真っただ中だったり、今このときが大事だったり、男らしさ女らしさよりも中性的な雰囲気が好まれたり…そういう傾向ですね。
 なんというかGLAYはちょっと今の時代からズレてきたかも…と感じたりするのって、ここに差ができているからではないかなというように思うのですが、いかがでしょうか。


posted by はじ at 14:01| Comment(2) | TrackBack(0) | J-POPレビュー男性(か行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そういう時代だからこそ、伝えていかなければならない音がある;ミチがある。そこに石がある。その石を逐一眺める。その行為に、何の利益もないが、確かにその行為は実存的なのだ;
Posted by xxx at 2006年11月03日 09:21
時代の趨勢に沿うのではなく、自らの方向性を「伝えていかなければならないもの」と信じて奏でていこうとする姿勢は、素敵なものですよね。
Posted by はじ(管理人) at 2006年11月12日 13:48
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