2007年06月16日

倖田來未「BUT/愛証」

BUT/愛証
BUT/愛証
posted with amazlet on 07.06.16
倖田來未 Kumi Koda Tommy Henriksen Masaki Iehara
エイベックス・マーケティング (2007/03/14)
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<崩れた表現から漂う強さ/視点はテーマの内側ではなく外側に>

 倖田來未の両A面シングル攻勢が連続しています。
 12作連続リリース以降、「恋のつぼみ」だけは違うものの、その後は4曲入りマキシ「4 hot wave」が来て、そして「夢のうた/ふたりで…」「Cherry Girl/運命」に次ぐ3連続目の両A面。明らかに、量を主に置いた戦略をとっています。
 まあ、12連続の時点でこうならざるを得なかったというのはありそうですね。ただ漫然とシングルを出していたら、今頃はもっと人気が失速しているかもしれないという気もします。

 彼女の存在というのは、ある側面から見ると「自由と開放」の象徴になっているのですね。
 彼女は「エロかっこいい」という言葉で表現されていたわけですが、それは彼女が、女性が「エロ」を堂々とアピールできる時代の旗手、象徴としての地位を獲得したことの表れだと思うのです。あんまり詳しくないですが、たとえば見せブラとか見せパンとかローライズジーンズとか、そういった流れが近年の女性ファッション業界にあって。そんな時流にはじめてぴったり符合するキャラクターが彼女、倖田來未だったのかなあと考えたりするわけです。
 もちろん露出の多いファッションそのものはずっと前からあったわけですが、一般層にも浸透し、かつそれが単に性的なアピールという意味合いだけではなく、自己表現の一環として地位を確立したのは、まさに最近のことだと思うのですよ。そんな地盤があったから、倖田來未は絶大な支持を集め、エロだけどかっこいい/エロだからかっこいいという考え方が広まったのだろう、という。

 「エロかっこいい」だけでかなり文字使いましたが、それだけではなく、彼女の歌詞は非常に少女漫画的というか、根っこには純愛があったりするわけでして。それは違和感でもありますが、ファンにとってはセクシーでありながら一途、という二度おいしい魅力になるのですね。…と、このあたりは以前にも述べた主張です。

 要するに、彼女の存在は、既存の女性像の枠には属さずまったくもって自由であり、かつ魅力をいいとこ取りで持っているわけです。女性の性を開放しながら、女性の理想の「恋愛に生きる姿」を描き出す…という。
 なので、そんな彼女にとっては、リリースラッシュ/A面連発というのは実に理にかなった戦略なのですね。曲ごとに違う表情を出し、違うコンセプトを打ち出し、「縛られない」存在であることをもっと強くアピールしていくわけですから。

 ここまでが前段。長いなあ。
 こっからも長いので覚悟してください。


 そんな自由の象徴である彼女ですが、今回の2曲ではさらに、それぞれ「いっぷう変わった形の愛」を扱っているようです。「BUT」は同性愛をテーマに据え、「愛証」はドラマ版「愛の流刑地」の主題歌で、愛するがゆえに死を選ぼうとする狂おしい愛情についてをテーマに据えているとのこと。


 もろもろの事情で、まずは「愛証」のほうから。
 この詞、ひたすらに相手を求める言葉で埋め尽くされています。「深い愛」を全力で主張しているのですが、「あなた」側のアクションが、ほとんど描かれていないんですね。ほとんどすべてが、「私」の気持ちだったり願いだったり考えだったりなのです。
 描かれている「あなた」の行動は『寂しい夜には 必ず耳元から/吐息交じりの言葉』くらいで、これも「聞かせてほしい」という願望とも充分にとれる書き方。『もう止められない/愛は死なない』という言葉は、(少なくともこの「私」にとっては)まさにその通りだと感じさせられます。

 ほとんど展開もなく、徹底的に相手を求める言葉で満ちたこの散文は、表現のクオリティで言えばかなりアレな部類に入ると思います、正直。突っ込みどころは山ほどあります、『眠れないほど ギュッと抱きしめて』ってこれ眠ろうとしているシチュエーションじゃないでしょとか、『認めたいの あなたにはまってると』ってもっと言い方なかったのかとか、いくらなんでも2行連続して「あなたの愛」って言葉使うなよとか…

 ただねー、この過剰すぎる「愛」の詰め込みがあるからこそ、共感されたり支持されたりしているんだろうなあ、とも思うのですよ。子どもが「一億万」なんて言葉を使うとき、そんな単位はないんだけど、とにかく大きな数字を表したいってことはわかるじゃないですか。おんなじです。レトリックとしては破綻しているからこそ、描きたいものの大きさが感じられるというか。

 即物的な表現なのも、伝わりやすいという点では貴重なわけで。十代女性の間で増殖しているケータイ小説なんかも同じで、誰でもできそうな表現の拙さだからこそ、広く支持されているわけですよ。それを是とするか否かはまた別の話ですけれども。

 もろもろ書きましたが、その背景には、「倖田來未って、ヒットする前はもっとしっかりしたレトリックで詞を書いていなかったっけ…?」という個人的な思いがあってのことだったりして。
 ハイペースで曲を連発したためにすり減ってしまっているのかもしれませんが、意図的に崩している可能性もありうるのかなあ、と。続きを読む


posted by はじ at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | J-POPレビュー女性(か行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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